ハブリング・ツーストーリー


リチャード・ハブリングは1969年、オーストリア・カリンティア地方の州都クラーゲンフルトに程近い小さな町エーベルンドルフに生まれました。
山々が連なり、湖が点在する豊かな自然が残るこの地は、時計作りにも最適な町。リチャードの父親も時計の付属品などを扱う仕事に従事し、幼い頃からリチャードは、小さな精密機械の世界に魅せられていきました。

そんなリチャードが、時計学校に進学するのは、必然だったと言えるでしょう。1984年に陽光あふれる故郷を離れ、オーストリア北部の時計学校に進学した彼は、そこでトゥールビヨンに強い関心を抱き、自分自身のトゥールビヨンを製作したいと、強く思うようになったと言います。

卒業と同時にチロルの時計職人の下で働き始めたリチャードは、すばらしいヴィンテージ時計の修理を手掛け、腕を磨きます。さらに時間を見付けては、学生時代からの夢であったトゥールビヨンの設計・デザインを書き起こしていました。そして1989年、おそらくオーストリアでは初となるトゥールビヨンを製作。後にこのトゥールビヨンは、世界的にも有名な時計専門書「トゥールビヨン」にも取り上げられました。

1990年、オーストリアで兵役を終えた彼は、スイスの有名な時計メーカーに職を求めました。しかし多くのメーカーは、スイスのフランス語圏にあり、面接までに至ったのは、唯一IWC社だけでした。ところが同社が求めていたのは、通常の修理スタッフ。リチャードの技術は高度すぎて結局面接はうまくいきませんでした。しかし人生には思わぬ転機が訪れるもの。リチャードの応募書類を当時IWC社の社長であったギュンタ・ブルムライン氏が、偶然目にしたのです。その書類には、リチャードが製作したトゥールビヨンや時計製作のデータがすべて書き込まれていました。ブルムライン氏はすぐに彼を呼び寄せるようにと指示を出し、こうして一本の電話がリチャードの人生を変えたのです。

スイス・シャフハウゼンに移ったリチャードは、IWCの開発のチームに加わると、すぐさま頭角を現します。彼が配属されたチームの課題は、スプリットセコンド機能をクロノグラフ・ムーブメントに組み込むための画期的な技術の開発でした。リチャードは驚くほどの短期間で独創的なデザインを考案。これが「ドッペルクロノグラフ」となり、世に発表されるに至ります。





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オーストリアのHabring2ショップ兼工房です。

 
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